「ぼくのメジャースプーン」を読んで
<著者> 辻村 深月
”人は人のために泣けない”
自分の代わりに犠牲になったふみちゃんを想い、寄り添い、行動することが、結局ふみちゃんのためではなく、自分のためなんだとしたら…。
主人公のぼくは苦しむ。結局は、人の行動原理は自分のためであり、どんなにふみちゃんへの想いを募らせて、自己犠牲を誓っても、それは結局そうでありたい自分を満たすためではないか。
そこで先生がぼくにかけた言葉
「…責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから。そうやって「自分のため」の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです」
この小説を読んで、わかっていたいな、と思った。まずは、自分のためなんだということを。
例えば、人助けをするとき、決して”あなたのために”なんて言いながら、手を差し伸べたくはない。
誰かを助けたい自分でありたいから、自分のために人を助けるということをわかっていたい。そうでなければ、差し出された手を握り返すとき、”申し訳ない”という気持ちになるだろうから。
自分が助けたいと思ったから、自分の手で助けられることが嬉しいから。だから、申し訳ないなんて思わないで。素直に手を握り返す勇気、助けてくれてありがとうと言える正直な心、その大きさをちゃんとわかっていたい。
著者の辻村さんが言葉で触れた、繊細な人心と葛藤。ここに着眼したその鋭さと優しさに、とても胸が熱くなった。
人を好き。それはどこまでもエゴかもしれない。でも、まずはそれでいいんだ。
例え自分勝手な気持ちが動機だったとしても、それを相手が喜んでくれるなら、それでいいじゃないか。