Webライターをやってみた ~転職について考える~

転職について考えてみる。

何となくの願望だけで、具体的な行動は何もできていなかった。

だから、世の中にはどんな仕事(選択肢)があり、自分自身がどの方向に進んでいきたいかすらわからず、苦しいけれど、ただぼんやりと彷徨っている。

願望があるなら、思い切って行動しよう。やってみなければわからない、何も変わらから。

以前から念頭にあったwebライターの仕事(案件)を1つやってみることにした。

自分が言葉を大切にしたいという思いが強くあり、仕事の中で文章を認めてもらえた経験もあって、言葉で表現し、伝える仕事に以前から興味があった。

今はクラウドソーシングを活用して、在宅でも着手することができる。

何かに挑戦するコスト、リスクが格段と下がった現代において、その環境を上手に享受することが、いまをよりよく生きるコツなのかもしれない。

~やってみた感想~

・まずは行動できた自分が少し誇らしい。ただの興味関心の領域からまずは第一歩を踏み出せたことで自信を持つことができた。この1件だけで何がわかる、変わるわけではなかったけれど、やってみたからこそ実感をもつことができた。

・案件説明では、納期のことは言われたが、仕事の質のことは言及されず。字数が充足していて、体裁が整い、納期までに提出してもらえれば良いといったようなニュアンスの説明内容。

直感でわかった。自分の言葉である必要がない。ある程度的から外れておらず、間違っていなければ問題なく、そうした言葉に体裁を整えてほしい、ということ。

自分の言葉を大切にしたい、という本来の自分の思いとは、真逆の発想だ。

できあがった個性のない言葉を搾取する。そうしてネット掲載された記事は、誰かの目に数秒映るだけの消費物。言葉の質なんて求めていない。言葉の質をぎりぎりまで下げる代わりに、納品スピードを上げて量産することを是とする価値観。

何となくわかっていた実情。自分自身にとってもネット記事は単なる理解するための情報言葉であり、共感できる感情表現だとは考えていない。それにしても、実際にやってみたwebライターの印象は、自分の理想とするものとは程遠かった。

一文字の単価をつけて、安くて大量の言葉を切り売りする仕事。その言葉には自分の感情や表現などを込める必要はなく、読者に消費されやすいようにパッケージされる、言葉の安物ギフト。摩耗していく、言葉を大切にしたい心。

もちろん全てがそうではないにしても、多くの案件では、こういう価値観が蔓延しているのだろう。

今回はネガティブな感想をもつに至ったけれど、こうした実感を持つことができたから、改めて、自分の職業人生を考えることができる。

とりあえずでも着実に一歩踏み出し、一つの体験を得るまでに至った自分を労いたい。